いだてん・シマと増野が結婚!関東大震災で娘のりくに悲劇が起きる

大河ドラマ「いだてん」で、シマ(杉咲花)と増野(柄本佑)が結婚、娘の「りく」を出産しますが、関東大震災で悲劇が起きます。

 

感動間違いなし!

 

神回になると予告されているシマの結婚から、関東大震災まで!

 

シマと増野の結婚、りくの出産、女子の体育の普及、関東大震災のあらすじ、ネタバレをまとめます。

 

ネタバレがありますので、知りたくない方はご注意ください。

 

 

いだてんのシマと増野の結婚のあらすじ

 

シマと増野がお見合い

 

 

シマ(杉咲花)は、二階堂トクヨ(寺島しのぶ)に「私の代わりにお見合いに行って欲しい」と頼まれました。

 

二階堂トクヨは、野口(永山絢斗)のことが好きで、どうしてもお見合いをする気にはならないということでした。

 

先生の頼みを断れないシマは、増野(柄本佑)とお見合いをして、交際することになりました。

 

増野のキャラクター

 

 

増野(柄本佑)は、日本橋の百貨店に勤めていて、いつも仕立てのいいスーツを着てシャッポをかぶるオシャレでモダンな人です。

 

好きなマラソンと教員の仕事を両方続けたくて、結婚を躊躇するシマを温かく見守ります。

 

「結婚して、子供を産んで、オリンピックにも出ればいい、結婚のために何も犠牲にしてほしくないんです。もう、そんな時代じゃありませんよ。」

 

増野は、シマの真っすぐさや真摯な気持ちに惹かれて、結婚することを決めました。

 

この言葉でシマも結婚することを決断しました。

 

四三とスヤが仲人を務めて、(8年も別居婚なのに!)結婚式が行われて、記念写真を撮影しました。

 

シマが四三の同僚になる

 

 

四三(中村勘九郎)が第二高女(東京都立竹早高校)に赴任しました。

 

シマの勤務先でもあるので、2人は同僚になりました。

 

第二高女は、お嬢様学校ですが、他校から「シャンナイスクール」と呼ばれています。

 

シャンとは、「美人」の隠語で、「シャンがない」=美人がいないと言われていました。

 

体育をしたら、色が黒くなって、手足は太くなって、嫁のもらい手がなくなるという生徒たちに、女子の体育の重要性を訴えて、やり投げを教えます。

 

シマは、そんなマラソンバカで運動に真っすぐな四三に女子の気持ちを伝えるいい相談相手になります。

 

そんな時、四三が日本初の女子テニスの大会を企画して運営しました。

 

テニスの大会では、生徒の村田富江(黒島結菜)と梶原(北香那)が活躍したことで、岡山高等女学校に遠征することになって、人見絹枝(菅原小春)と対戦しました。

 

人見絹枝は、長身で身体能力も桁外れですが、勝ちたいと思ったことが無いと言いました。

 

勝つと決まって、「おてんば」や「化け物」と騒がれることが嫌でしたが、負けず嫌いな性格のために勝っていました。

 

そんな人見絹枝(菅原小春)にシマは、四三に陸上の指導を受けることを勧めます。

 

人見絹枝役を演じるのは、世界的なダンサーで、紅白で米津玄師さんの横で踊ってたあの人です。

 

いだてん・人見絹枝がモデル!菅原小春は米津玄師と紅白に出場!にプロフィールあります。

 

シマが妊娠、りくを出産

 

女子の体育の普及のサポートをしながら、マラソンも続けていたシマが妊娠しました。

 

二階堂トクヨ(寺島しのぶ)に報告すると、全寮制の「二階堂体操塾」(今の日本女子体育大学)を設立していました。

 

二階堂トクヨの野口(永山絢斗)への恋はどうなったのでしょうか!

 

シマが長女のりく(娘)を出産するのと同じ時に、四三とスヤにも長女の正子を出産しました。

 

りくという男の子は、最近多いですが、シマの子供は女の子です。

 

シマは、陸上が大好きなので「りく」と名付けました。

 

「ママでも金」マラソンを諦めたくないシマに四三は、女子の陸上競技大会への出場を勧めます。

 

しかし、シマは人見絹枝(菅原小春)に女子の陸上競技大会への参加を提案する手紙を送りました。

 

しかし、人見絹枝は不参加でした。

 

関東大震災が起きる

 

 

四三は、東京オリンピックの招致に向けて、完成間近になった神宮競技場を治五郎(役所広司)に案内してもらう事になっていましたが、シマを誘い忘れていました。

 

シマは、富江(黒島結菜)たちと浅草にオペラを観に行くことになりました。

 

神宮競技場の広さに圧倒された四三は、トラックを走り始めました。

 

その頃、浅草にいたシマは、ひとりで凌雲閣の展望台から神宮の競技場を見て感動していました。

 

そんな時に大きな地震が起きました。

 

大正12年(1923年)の9月1日午前11時58分に関東大震災が起きます。

 

神宮近辺の被害は軽かったので、グラウンドにいた四三と治五郎は無事でした。

 

シマが行方不明

 

四三が帰宅すると、ハリマヤの店内に辛作一家とりくがいました。

 

シマは、浅草に出かける前にりくを預けてました。

 

余震が続いていましたが、四三は走って浅草へシマを捜しに行きました。

 

その間にも地震後の火事が東京中に広がっていました。

 

被害の酷かった浅草に着くと、村田富江(黒島結菜)が父親の大作(板尾創路)と救護活動をしていました。

 

富江たちとシマは、凌雲閣の12階で12時に待ち合わせをしていました。

 

そう言われて、凌雲閣の方を見ると、建物が8階で分断されて、下の階も火事で焼けていました。

 

その後もシマの夫の増野(柄本佑)とりくと一緒にシマを捜し続けました。

 

ばったり出会った清さんは、瓦礫だらけの道で人力車を引いていました。

 

一緒に捜してくれるというので、シマの写真を預けました。

 

関東大震災での死者と行方不明者は、約11万人にのぼっていて、神宮競技場も避難民に開放されました。

 

四三は、罹災者のための運動会を企画しました。

 

増野は「大々的に宣伝をしたら、シマが駆けつけるはず」と言ったことで、運動会の開催が決定しました。

 

運動会当日に四三は、思いがけない人に声をかけられました。

 

岡山高等女学校のテニス選手だった人見絹枝(菅原小春)でした。

 

シマから陸上競技を始めるように熱い手紙をもらっていて、少しずつ心を動かされていました。

 

岡山の競技大会に出場して走り幅跳びで日本新記録を出していました。

 

シマにお礼を言いたくて運動会に来ましたが、四三の勧めで女子リレーに参加しました。

 

人見絹枝はアンカーを務めましたが、富江とデットヒートして、同時にゴールしました。

 

おてんばや化け物と言われることを気にしていた人見絹枝は、シマのおかげで成果を発揮できる居場所を見つけました。

 

翌年、人見絹枝は、二階堂トクヨ(寺島しのぶ)の二階堂体操塾に入学します。

 

競技場が盛り上がっている中、増野は観客席でシマの姿を見た気がします。

 

しかし、笑顔のシマは一瞬のうちに消えてしまいます。

 

シマが生きていた?

 

熊本に戻っていた四三は、昭和11年に5年ぶりに東京へ来て、ハリマヤ製作所を訪れました。

 

そこにいた若い女工を見て驚きました。

 

「シマちゃん?生きとったと?良かった~」

 

四三が抱きつくと女工はびっくりして言いました。

 

「違います。娘のりくです。増野りくです。」

 

シマにそっくりなりくは、ハリマヤで働いていて、父親と大塚で暮らしていました。

 

りくは、シマが大好きだった陸上のためにハリマヤで靴を作っているのでしょうか。

 

シマと同じようにマラソンをしていると思われます。

 

シマにそっくりな「りく」ですから、大人になったりく役を演じるのは杉咲花さんでしょう。

 

シマの影を見て、感動すること間違いなしです。

 

大河ドラマ【いだてん】の記事をまとめました。

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まとめ

 

ドラマ「いだてん」でシマと増野の出会い、結婚、出産、関東大震災をまとめました。

 

神回になると予告されているシマに注目です。

 

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